今年も終盤なので脱サラ&北海道移住について振り返る 


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最高気温が氷点下という日が続いています。

こんにちは。あだじょぱです。

脱サラ移住から3ヶ月が経過し、新しい年を無事に北海道で迎える事が出来そうです。

そんな師走ですが、先日、数年前に一緒に仕事をしたこともある知人からビジネス関連での相談を受けました。

正直なところ僕はコンサルタントでも何でも無いし、ビジネスとか面倒だなと思いましたが、人との繋がりや縁というのは大事なので、話だけでも聞いてみることにしました。

話を聞いてみて自分自身、少し早いですが、今年の大きな出来事である脱サラ移住を振り返ってみました。

 

 

脱サラ

 

知人の話を聞いて思ったのは、コンプライアンスや透明性を前面に謳う企業は多くありますが、実際に実践できている企業は少ないのでは無いかという事でした。

今の時代、大手企業に勤務していても絶対的な安心感は存在しないのかも知れないですね。

脱サラしたいという人も周囲に多くいますが、その後の暮らしを考え思いとどまる方が殆どです。僕は不真面目なので脱サラに踏み切りましたが。

 

 

不真面目であるが故に

 

僕自身、プロフィール画像が裸なのでわかるように不真面目な変態です。

日本人は真面目な気質ですよね。

社会人になってすぐの頃から違和感を感じていました。

上司であったり、同僚であったり、周りが責任感を強く持って仕事をしていました。

その為にはサービス残業も惜しみません。

こんな事は当たり前だという暗黙のプレッシャーをかけられ、有給休暇すら取得しづらい環境の部署も多かったです。

時代に流れで過労死が問題提起されはじめ、企業は表向き残業をしないようにと伝えてきますが、実際の現場では残業有りで達成されていた予定を軽くすることは無く、残業が減るというよりは、サービス残業が増えることに。

 

仕事の効率化を図った上であっても、現実には追いつかない事は多々あります。

そうなるとそのプロジェクトに携わるチームや個人の成績に影響が及ぶので、全員が必死になって仕事を完遂しようと動きます。

それが悪い事だとは言い切れませんが、僕は不真面目だった為に、その時点から既に脱サラへの想いは芽生えていました。

 

 

チームであるが故に

しかし、サラリーマンとして企業に雇われるからには、その企業の一員である間は全力で働こうというのは心に誓っていました。

報酬があるわけですから、その分はキッチリ仕事をするという意味で。

チームでのプロジェクトを持たされる事が多かったので、一人だけ足を引っ張るような事もしたくなかったですし、色々と考えさせられることもありました。

チームワークが重要な組織で動く以上、先輩や上司に右へならえで同様にサービス残業を率先してやるようになっていました。

これは指示されたわけでもなく、指示したわけでも無いのにチーム全員が行っていました。

最初の段階からしたら異常です。

ですが、既に当たり前だという感覚が自分の中にも出来ていました。

このままだったら、もしかすると現時点でも社畜と呼ばれるような状態だったかもしれません。

とにかくチームの輪を乱すことが無いようにと思って行動していたわけです。

 

 

転機

世の中では順調と言われることなのかもしれませんが、次第に上からの要求は大きくなり成果も認められるようになって、転勤を経験することになりました。

役職も上がり更に上からの要求は大きくなります。

達成すればするほど、次回は大きな成果を期待されるのは当然と言えば当然のことです。

しかし、やがて追いつかなくなる日がやってきました。

正直、それまで成果を上げ続けてきたので社内でも評価は悪くありませんでした。

そうなると変なプライドが湧いてしまい、出来ないという事が言えなくなっていました。

徹夜で仕事をすることも増え、帰宅後もチームリーダーとして一人仕事をしていたのです。

今思えば駄目なリーダーです。抱え込むのは駄目なリーダーのする事ですね。

 

そして見事に身体を壊しました

暫く入院することになったのです。

その時の開放感は相当なものでした。

そこで、いつの間にか違う方向へ進んでいたんじゃないかと感じ始めました。

仕事へ復帰しても脱サラについて頭を過ぎる日々が続きました。

家族が出来ると脱サラへの気持ちが揺らぐことも出てきます。

それは安定した収入を得るという生きて行く上で重要な要素について。

しかし、果たして企業に勤めていたからと言って安定しているのだろうか?

ここは結構悩むところです。

周囲の同僚や知人の中には、同じように脱サラを考える人間が数人いました。

実際に会社を去った先輩もいます。

しかし、そこから成功した話を聞いたのは、殆どいません。

ただ活き活きとしている人は多かった気がします。

 

 

資金が必要

 

そこで最初に考えたのは、脱サラしようと漠然と考えていても将来設計が出来ていないと何も行動に移せないという事でした。

起業するのであれば、どのような会社にするのか、その為に必要な資金は、どれくらいなのかなど考える事は沢山ありました。

まず、資金を作るにしても多額の借金は、家族がいるので危険だと考え、取りあえず何か小遣い程度から稼げるものは無いかと探り、副業を開始。

いきなり会社を辞めて、やるには危険が多い感じですがサラリーマンをしながらだと、帰宅後の空いた時間で出来るので。

ただ、実際に収入を得るまでには、相当な時間が掛かりました。それでも毎月の給料+アルファは確保できました。

 

それ以外にも、自分で出来る方法でコネクションを利用しながら様々な事にチャレンジして気がつけば、そこそこの資金は手に入っていました。資金を稼ぐ間ずっと起業について考えていました。

勤めていた企業はブルーオーシャンではなく、競合他社の多いレッドオーシャン。常に新しい技術を確立し他社との差別化を念頭に開発を進めていましたが、新しい分野へ抜け出さないと市場の飽和から減退の道は見えていました。

市場のトップ企業は常にトップをキープしなければならず、その下から追いかける企業は、新しい角度から攻めるか、又はニッチな部分を狙うかしないとならないのですが、市場が活性化すると海外勢も攻め込んで飽和状態となります。

寿命が長く買替え需要のスパンが長い商品で、消耗品も見込めなければ厳しい世界でした。

 

 

北海道への移住

 

北海道を意識し始めたのは、大阪へ転勤後です。地元大阪へ戻ったこともあって、当時は脱サラ計画への考えも薄くなり、北新地で飲んだくれの日々で散財していました。

仕事の方も一度は下がった上層部からの欲求も再び加熱してきた頃でした。

 

 

家族がいるのに脱サラを実行

 

故郷に戻って飲み歩いていましたが、殆どが仕事で知り合った人間との交流でした。

最初は大阪勤務からスタートしているので、懐かしい顔ぶれとの交流は楽しい時間でした。

しかし、大阪を離れている期間が長かったこともあり、色んなところが変わっていました。

学生時代の友人は、その殆どが地元大阪を離れてしまい会うことすら出来ませんでした。

僕の両親は健在ですが、大阪を離れ山奥で隠居生活をしているので実家も既にありません。

そうなると楽しい日々も終焉は早く、再び仕事に追われる日々が続くようになります。

 

企業には色んなタイプがあると思います。

僕はグループ企業へ出向したり様々な経験をしてきました。

グループ企業は、母体企業とは異なる企業の扱いであり、別の社長が存在し、経営の骨子は変わらなくても、違いは多くありました。

社長によって考えが変わる事は勿論ですが、更に筆頭株主であるオーナー(企業)によっても経営戦略は変化をしていきます。

オーナーの目的がバイアウトである場合は、体質改善に動き良く魅せようとする傾向が強いように感じます。

基本、どんな会社であっても納得できる過去のデーターから算出された目標成果を目指すのは理解出来ますが、時折、どうやって算出されたのかが開示されない途方も無い絵に描いた餅のような無茶振りをされることも。

 

人を大切にしない体質になった時点で、社員の頑張る気が失せます。

ブラック化でしょうね。

販売において需要と供給を考えた場合に、ニーズが無いものは売れません

ユーザー意識を考えて何を必要としているのかって大事だと思うんです。

企業が自社の考えを押しつけるように、自社が開発した物が良い物だと開発ありきで販売しようとしても、そこにニーズが生まれなければ購入には至りません。

それこそマスターベーションでしかありません。

普通に定年退職までだと、まだまだ25年くらいありますが、様々な出来事が脱サラ熱を加速させる結果となったんだと思います。

 

 

北海道への想い

僕は長男なので、本来は親の面倒をみなければならないのだと思います。

しかし、北海道での勤務中に出来た家族は北海道が故郷。

2ヵ所で迷いが生じる事がありました。

実家が田舎の山奥になってしまった事で、脱サラして移住するには収入への不安要素しかありませんでした。

不動産収入を考えた場合、過疎地は入居者が少なく危険ですから。それに比べ札幌は大阪や関東に比べても物件は安価なところもあります。

子供達にとって生まれた土地には友人も多く、関東や大阪は辛い日々だったかもしれません。

1度だけSNSに悪口を書かれたと娘が泣いて学校へ相談に行った事もありました。

大阪の学校でしたが対応は良く、その後は何事も無く娘も学校へ行っていました。

聞いた話だと転入生の数人が登校拒否しているらしかったです。

そんな事もあって北海道へ行こうという気持ちは日に日に募っていきました。

嫁も母親を一人で残していたので心配だったと思います。

 

転勤が多かったので住まいは常に賃貸住宅でしたが、脱サラ移住を機に分譲マンションを購入し北海道へ永住するつもりで移住する事を決意しました。

そして、不動産収入の為の物件も見つける事ができました。

 

 

脱サラ移住をしてみて

 

生活面では趣味の時間も多くとることが出来ます。子供達の将来もあるので、贅沢が出来るほどの余裕はありませんが細々と暮らしていけます。自分の小遣いは別で稼いでいますが。

子供達も北海道へ戻ったことで笑顔が増えたような気もします。

時々、義母を車で送迎したり簡単な手伝いをすることも出来るようになりました。

子供や家族が体調不良になった際は、車を運転してすぐに病院へ連れて行けます。

僕がずっと家にいるので、嫁は嫌がっていると思います。

脱サラ移住に関しては、後悔はありません。それどころか良かったと思っています。

 

 

北海道でのビジネス

 

今回、相談してきたのは北海道で仕事をしている知人です。

彼は仕事を辞める事も検討していましたが、独立起業する脱サラでは無く転職という道を考えている様子でした。

その話の中でハローワークにも通っているというのを聞きましたが、賃金が安く希望の仕事も見つからないというものがありました。彼には家族がいるので養っていかなければならないのです。

僕は家族で移住し脱サラをしましたが、特殊なケースなのかもしれません。

普通に仕事を探すつもりで移住するのであれば、厳しい現実が待っているのかもしれないです。

 

北海道は札幌市の家賃も大阪や関東に比べれば安いですが、賃金も安いです。

特に地元企業の場合は。全国企業は東京基準の明確な評価基準があると思うので、差は生じないと思います。

ですが転勤の可能性は否定できません。

移住して北海道で独立起業というのも険しい道があると思います。

ただチャレンジする事は大事だと思っているので、勇気があれば失敗を乗り越えて成功するなんてこともあるかもしれません。

 

北海道は今年は台風が直撃した影響で農家も大打撃を受け、消費者にも影響が出ています。

北海道への移住には、田舎での農業という選択もあるでしょうけど、今後も台風など天災の影響が増えるかもしれないとなると、安定を求めるなら設備投資が必要です。

今はネットが普及し簡単に情報が得られるようになっています。

先駆者たちの情報を探り将来設計を考えることがスタートだと思います。

 

 

最後に

 

振り返ってみると色んな事があったんだなと感じました。

別に全米が泣くような感動の涙は無いですけど。

今年は人生の大きな転機を迎えた年になりました。

新しい年は新しい土地で迎える事になります。

自分が死を迎える時に後悔が無かったと言えるように過ごしたいです。

近年では大地震だったり台風被害だったりと天災も多く、北海道に限らず移住を考え始めている方もいるんじゃないかと思うのですが、ネットが普及し情報が簡単に得られる環境になった反面、間違った情報も溢れているように思います。

実際に体験や経験した先駆者が書いていることを参考に、将来設計を考え進める中で修正を加えていけば、見えてくるものがあると信じています。

北海道は冬の厳しさは避けられませんが、暮らすには快適だと思います。

知らない方々から親切にされる事も多く北海道の人柄も好きです。

北海道へ移住を考えている方は、是非頑張って下さい!


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ABOUTこの記事をかいた人

大阪から札幌への移住者。二度の移住でトータル15年ほど。 会社は早期退職。仕事やプライベートで北海道全域を走破。 趣味はGuitarとCamera。どちらも未熟である。  HM/HRと綺麗な素敵レデーをこよなく愛す。怪しい者ではない。