反抗期の娘と無職の父


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娘が反抗期を迎えたようです。

こんにちは。あだじょぱです。

少子高齢化の進む日本の現代社会ですが、反抗期を迎えたお子さんを持つ家庭も沢山あるのでは無いでしょうか?

最近では、不登校で引きこもりになってしまうお子さんも多いみたいで、子供達の通う学校でもクラスに数名いるとか。

そんな世知辛い世の中ではありますが、我が家も遂に娘が反抗期に突入したようです。

 

娘と髄膜炎

 

我が家だけでは無いと思うのですが、男親としてみれば息子は自分の育ってきた経験などを思い出しながら接しやすい存在に感じます。

それに比べて娘となると、なんだか難しい存在に感じています。

 

 

幼少期の娘を襲った病

 

そんな娘ですが、幼い頃は、そんな事は無かったんです。

相撲が大好きな子供だったんです。

生れてすぐ髄膜炎になり生きるか死ぬか、後遺症が残るかと医師から言われ嫁が号泣していた時が懐かしい。

その影響で少し成長が遅れ気味で幼稚園の時にカウンセラーから障害の認定を勧められましたが、その時に調査で受けた試験的なモノは自宅では出来ていたので、知らない人ばかりで緊張しただけだと断りました。

そう考えた背景には、病院での定期的な診断でも後遺症や脳への影響は無いと言われていたからです。

勿論、他の子よりも言葉を話せなかったり、運動神経が鈍かったりと心配な面も沢山ありましたが、娘の言動を注意深く観察して判断したつもりです。

そんな娘が何をしても喜ばなかったのに、長男(嫁の連れ子)に抱っこされて相撲を観るときは大喜びしていたのです。

深く観察した結果、どうやら娘は、肥った男が裸でお尻を出してぶつかり合うのが大好きだったみたいです。

それから数年、娘は普通に遅れを取り戻しました。

 

 

髄膜炎と病院

 

娘が髄膜炎だと判明するまでは、風邪のような症状で発熱があり部屋で寝かせていました。

あれは確か日曜日だったと思います。

その日の夜ですが、娘の様子が急激に悪くなり時々白目を剥くようになったので、慌てて休日診療の当番病院を探し車に乗せて連れて行きました。

こちらは一刻を争うのでは無いかという気持ちだったにも関わらず、なかなか対応してくれない病院に苛立ったのを覚えています。

ですが診察では、風邪だと言われました。

しかし、病院側の対応に不信感を感じていた僕と嫁は、明日の午前中に小児科へ連れて行く事にしたのです。

 

翌日は、仕事のため嫁がタクシーで娘を小児科へ連れて行きました。

そこでは詳しい検査が出来ないので、念のため大きな病院で検査した方が良いと紹介状を書いて頂き、その足で大きめの総合病院へ向かいました。

そこでは、念のため髄膜炎の検査をしてみますとの事で、泣きじゃくる娘を押さえつけて採血し色々と詳しく診察して頂きました。

その結果が髄膜炎という事でした・・。

 

 

入院そして

 

髄膜炎が確定したことで入院が決まりました。

まだ幼い娘の入院のために嫁も一緒に病院へ泊まる事になりました。

僕は仕事があったので同じく幼い息子の面倒がみれず、息子も病院へ泊まる事に。

それからは、毎日が検査の日々。僕も仕事が終わってから簡単な食事を済ませ病院へ通いました。

この時は色んな想いが頭を駆け巡っていました。

ある日、担当の医師から話があると呼び出され、会社を抜けて嫁と二人で医師の話を聞くことにしました。

医師の居る個室に呼び出された時は、医師も深刻な表情だったので、ある程度の覚悟を決めて聞くことにしました。

そこで医師から聞いた話は、髄膜炎で間違い無いという事。

早期発見だったという事、そして、3分の1の確率で、

  • 死亡する
  • 生きていても後遺症が残る
  • 後遺症も無く普通に生存する

 

のどれかになります。という衝撃的な内容でした。

 

それを聞いた瞬間、嫁は号泣して我を忘れたようになってしまいました。

その姿を見た瞬間、僕は冷静にならなければならないという気持ちが強く湧いていました。

嫁には、医師だから最悪のケースを想定して話さないと何かあった時に困るだろうから、きっと大丈夫だと言うのが精一杯でした。

 

 

退院からの努力

 

それからの毎日は、不安との戦いでした。

毎日、毎日、病院へ通いました。

毎日のように泣きじゃくる娘の身体に針を刺し採血する光景は、今でも忘れられません。それでもきっと大丈夫だと自分に言いきかせていました。

 

やがて、娘が回復し医師からは死は免れたという話があり退院の日も決まりました。

しかし、後遺症については、まだわからないので定期的に脳の検査を受ける事になりました。

それからは、おかしな症状は出なかったものの娘の発達が遅い事に気がつきます。

周りが言葉を発する中で娘は言葉が話せない状態、歩くことも出来ず心配な日が続きました。

 

成長は遅れているものの時間をかけて普通になっているようにも思えました。

そして幼稚園に普通に入園します。

それでも成長の遅れが気になったので、幼稚園とは別に言葉の教室に通いカウンセリングを受けるようになったのです。

 

今では髄膜炎になった事が嘘のように普通に成長しましたが、周りの友人との遅れを取り戻すのに娘は人よりも頑張って勉強していました。

医師からも言われましたが、早期の発見だった事が良かったみたいです。

今回の件で、セカンドオピニオンが大事だと痛感しました。

病院によって対応が全然違います。

良い医師との出会いがあって本当に良かったと思います。

 

 

娘の成長

 

さて、ここまで美談な雰囲気でしたが、普通になった事で娘が成長してしまい、無事なのか何なのか反抗期を迎えました。

 

 

お父さんのと一緒に洗わないで!

 

この名言が、まさか我が娘の口から飛び出そうとは、娘が生れた時には想像もつきませんでした・・・。

娘からすると、お父さんの衣類というより、

お父さん=汚い

という扱いの様です・・。

あんなに可愛かった娘は、どうしてしまったんでしょう・・。

普段は、ごく普通に食卓で会話をしたり塾への送迎をしていますが、特に面と向かって汚いという発言は聞かれません。

ですが、なんだか見えない汚いと思っているようなプレッシャーを身体中で感じる日々です。

娘と嫁は、特に中が悪い事はありませんが口論しているのをよく見かけるようになりました。

この口論が酷くなると嫁から「なんとかしろや!テメェ父親だろうがぁ おう!」という表情を向けられるのであります。

 

そこで娘と対話するワケなんですが、ああ言えばこう言う感じで、最終的には部屋の扉を固く閉ざされてしまうという結末を迎えます。

そんな時は、ムリにこじ開けるのも面倒なので放置しているとお腹が空いた頃に向こうから出てきます。

そして、そこで何も無かったように振る舞えない大人げの無い僕は、再戦を挑むのです。

それが殆どの場合は食卓ですが、殆どの場合は、コチラが一方的に話しているだけで娘どころか家族全員が聞いていないという独り言状態です。

そして、今でも衣類は一緒に洗って貰えない・・

と言うか、お父さんだけ別にされているような・・・。

 

 

不登校寸前で

 

親の都合で転校する。というのは聞く話ですが、我が家は転勤族で数回の転校を経験させてしまいました。

その中でも、大阪の学校時代は仲間はずれのような事もあって真剣に悩んでいる時期があったようです。

本来なら単身赴任かと思うような場合でも、嫁曰く家族がバラバラになる事が1番良くない事らしく家族で引越す事が多かったです。

家族は、1度目の移住時に札幌で生まれ育ったので札幌が故郷です。

大阪は僕自身の地元ではありますが、家族にとっては見知らぬ土地でした。

慣れない環境の中でも子供達は頑張っていたと思います。

 

しかし、娘の件では僕の世代には無かったSNSなどでの仲間はずれみたいなものがあって、娘もどうして良いかわからず、学校へ行くのが嫌だったみたいで嫁に打ち明けてくれました。

普段から何でも家族に相談しようという風には話をしていましたが、ここで話してくれて良かったと思います。

それから嫁が学校で教師に相談しました。

これで改善が無ければ僕が行く予定でしたが、学校側の対応は素早く謝罪もされました。

特に問題が大きくなる前だったので、今後他の子供たちでも同じ事が起きないように対応して欲しいという事だけを伝えました。

 

 

現在の娘

 

それからは暫くは娘も大人しくなり、普通にすごしていましたが、僕自身の中に地元で暮らせるようにしてあげた方が良いんじゃ無いかと思う気持ちが芽生えていました。

札幌には仲の良い友達も多いみたいでしたし、時々娘と話す時に何処に住んだのが1番良かったかという質問をしてみたのですが、即答で札幌でしたから。

 

そして現在、札幌で暮らすようになって子供達は楽しそうです。

その反動なのか息子より娘の反抗期が酷いみたいで、嫁との口論が絶えません。

男親からすると娘は扱いが難しいので、少しだけ注意はするものの時間が経てば・・とも思ってしまいます。

今の生活では、時間が自由なので部屋が別々でも家族との時間が多くなっているので、以前よりも家族の状況変化に敏感になった気がします。

その分、子供達への干渉もしないように自室でブログを書いたりギターを弾くようにしていますが。

娘がどう思っているのかわかりませんが、塾への送迎時も会話したりする時間なので、学校の出来事や塾の進捗状況を確認するのは楽しみでもあります。

 

 

最後に

 

無職のくせに!とかって台詞は、まだ言われていません。

これまで早朝から深夜まで働き詰めだった事や、徹夜も多かったので、逆に心配をかけていた所為かなと思います。

仕事を辞めた事で家族との接点が増えました。

辞めて良かったと思う1番の事かも知れません。

娘が髄膜炎になった時は会社を辞めて見守りたいくらいの勢いでした。

あの頃は資金も乏しく収入も低かったので、どうにも出来ませんでしたが。

娘が他人を困らせるような、他人に迷惑をかける事があれば、その時は僕も激怒すると思いますが、今の日々の生活を見ていると暫くしたら静まりそうな気配を感じます。

髄膜炎の時もそうですが、子供の事をよく見て、よく知っておかないとならない。と思います。

ただ、友達からお父さんはどんな仕事?と聞かれた時は、

知らないと答えているそうです・・。


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ABOUTこの記事をかいた人

大阪から札幌への移住者。二度の移住でトータル15年ほど。 会社は早期退職。仕事やプライベートで北海道全域を走破。 趣味はGuitarとCamera。どちらも未熟である。  HM/HRと綺麗な素敵レデーをこよなく愛す。怪しい者ではない。