【移住】 仕事を辞めて北海道へ移住した者の生活とは 【北海道】


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大阪から移住し、北海道に12年ほど暮らして他の地に転勤しましたが、会社を辞めて北海道に戻りました。

こんにちは。あだじょぱです。

退職金と貯蓄を合わせて、セミリタイアの資金にしました。

北海道への移住は、実質2度目になるのですが、移住に関して検索で当ブログに辿り着く方もいらっしゃるので、今回は1度目の移住からの流れやその後の暮らし、そして会社を辞めて再び家族で移住した者の生活が、どのようなものなのかを書いてみようと思います。

 

 

1度目は単身移住

 

今から15年ほど前、若くして結婚していた僕は、サラリーマンをしながら、社会人バンドでギターを弾いていました。

若くして結婚した相手とは、数年で離婚が成立し、精神的に憔悴した僕は、会社とバンドの両方を辞めて単身で北海道へ旅に出たんです。

 

札幌での出会い

 

北海道への旅は、期間を定めず何も考えずに向かいました。

手持ちの荷物と僅かな資金を手に、北海道の札幌市に入ったのが真夏の8月初旬。

大通公園で寝転んだり、ベンチで寝たりして過ごす堕落しきった日々。

そんな時に、今の嫁に声を掛けられました。

当時の嫁は、離婚したばかりで小学生の子供と2人暮らし。

色々と境遇が似ていた事もあって仲良くなり、やがて彼女の家に部屋を借りて住まわせて貰うようになっていました。

もう完全にヒモ男です。

 

何もかもを失っていた僕にとって、この見知らぬ親子との不思議な生活は、久しぶりに味わうとても暖かい家庭での暮らしでした。

当時は、慣れない北海道という土地で定職に就かず、日雇いバイトで生活を繋ぐ生活をしていましたが、収入は殆ど無いに等しい雀の涙な状態でした。

ヒモ男っぷりを発揮して、正社員として働いていた嫁に、食べさせて貰っているような状態。

 

 

札幌でのリスタート

 

さすがにそんな生活を続けられるほど、落ちぶれていなかったので、再就職を決意しました。

日雇いバイトを続けながら、ハローワークへ通い1つの企業に絞り面接が決まりました。

当時のハローワークでの記憶ですが、正社員の募集が少なくて仕事を選べるような状況では無かったです。

応募した企業も1次面接には、20名以上が来ていました。

本当は北海道内の企業に絞りたかったのですが、募集が少なく希望に合わない内容だった為に、東京本社の全国展開している企業を選択するしかありませんでした。

 

面接では、大阪から来た関西人である事を気にしてか、北海道の地名などの質問が多く面接後には筆記試験を受けました。そして、数日後に2次面接の連絡がありました。

2次面接の時点では、5名くらいまで応募者が減っていました。

その中で最終面接へ行けたのは、自分を含め2名のみ。

結局、最終面接をなんとか通過し、無事に再就職が決定しました。

 

 

再就職後の仕事

 

札幌での仕事は想像以上のものでした。

お客さんを訪問する外まわりの仕事に就いた為、北海道内の全域を札幌の事務所から出張や日帰りで対応しました。

当時は会社の景気も良かった為、道内便の飛行機で札幌から函館へ行くこともありました。

同棲状態だった今の嫁とも結婚をし、やがて2人の子供を授かりました。

出産に伴い嫁は会社を退職していたので、上の子も含めて3人の子供を育てねばならず、仕事に没頭しました。

この当時は、本当に色々な事があったのですが、また別の機会に記事にしようと思います。

 

出張の多い仕事でしたし、冬場も大阪では経験する事がない、前が見えないくらいの吹雪の中でも車を運転して稚内や網走へ出張しました。

朝は早朝に出勤し、夜は終電が無くなれば、徒歩やタクシーで帰宅する日も珍しくありませんでした。

やがて、社内の昇格試験をパスし管理職となりました。

当時は若い管理職が会社にいなかった為、社長から直接の東京への転勤の打診が何度もあり、申し訳無いと思いながらもお断りを続けていました。

 

 

景気の悪化と転勤

 

大手企業が北海道の各地に拠点を設けていましたが、夕張市の財政破綻をきっかけに景気が悪化し、各企業が北海道での事業を縮小する中で、勤めていた会社も打撃を受けました。

北海道の従業員を削減するというリストラがありました。

数名の先輩や後輩が会社を去り、やがて東京から幹部が数名出張してきました。

簡単な事業戦略会議の後、僕だけが呼ばれ面談を行いました。

その中で、僕の東京本社勤務が決定となりました。

 

家族には単身赴任の話をしましたが、家族が離れて暮らすのは良くないと家族全員での関東移住という事になりました。

家賃などは全て会社が負担してくれるという事でした。

 

 

東京生活

 

住む場所が決まり自家用車も持って引越しをしました。勝手が違う関東での生活がスタートしたわけです。

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関東での家族

 

関東へ移住し、子供達は転校という形になりました。

僕は相変わらず仕事に没頭していました。

リストラの成果が出た事もあって仕事は順調。

収入も右肩上がりで上昇を続けていた事もあり、当時は仕事人間になっていました。

 

しかし、一方で家族は北海道での生活の方が良く、札幌へ帰りたかったみたいです。

一緒に行くと言った手前、僕の仕事の邪魔をしないようにと、家族から「北海道へ帰りたい」という言葉が出ることは一切ありませんでした。

そんな事とは知らずに、僕自身は、北海道よりも数倍も大きなマーケットでやりがいを感じ、徹夜の仕事に明け暮れ、週末も出勤して仕事をしていました。

 

 

体調不良と新しいミッション

 

そんな張り切って働いていると、次から次へと仕事を任されるようになります。

当時は、体力には自信があり、若い頃の自分のイメージで仕事をしていました。

しかし、もう身体は悲鳴を上げていたんですね。

ある日、僕は倒れてしまったのです。

 

しばらくの入院生活を経て、僕は職場復帰をしましたが、倒れる前からの仕事が処理されておらず、以前よりも仕事の環境は悪化していました。

そのままだと、また倒れていたのかもしれません。

しかし、そのような状況にあったのは、何も僕だけの話では無く、景気悪化が深刻化しており、経営状況は増収総益でありながらも、それは社員の必死の努力があってこその結果でした。

もう限界が近かったのです。

そんな状況下で、退職する者が多数出てくるようになっていました。

そこで会社は事業を更に縮小し、適材適所と称し、人員の配置転換を全国規模で実施しました。

そして新しく突きつけられた新しいミッション。

それは、大阪支店での支店長として低迷する大阪の売上げをV字回復させるというものでした。

 

 

大阪への移住

 

大阪は、出身地でもあります。

正直、今回の異動に関しては単身赴任で考えていました。

しかし家族からの反対を受け、今回もまた家族での移住という事になりました。

 

 

 大阪での仕事

 

osakajyou

大阪にも自家用車を持って引越ししました。

市内の3階建ての戸建てで、自宅前に駐車場付き、家賃14万円です。

大阪も高いですね。

今回は景気悪化もあり、社内で制度の見直しがあった為に、家賃補助が少しになっていました。

大阪に転勤してすぐに競合他社の動向やマーケット、自社の状況把握に着手しました。

この時点で大阪支店は酷い状況で、退職者も多く社員数も激減していました。

 

コストカットから始め、チームリーダーを選抜し、調べ上げた現状データを基にアクションプランを作成させました。

PDCAには絡みますが、基本はチームリーダーに任せる形で数ヶ月間の推移を観察しました。

数年前までは、外部研修制度で研修を受ける事が出来たのですが、経営方針の変化によって外部研修制度が廃止となり、若手の人材は社内でしか学ぶ機会が無い状態。

完全にリーダーシップがとれていない事が見受けられました。

この状況下では、大阪チームが成功する事は無いと確信し、まずは各チームのリーダーを育てる事に専念するようにしました。

 

当時のチームリーダーに欠如していた下記項目について話し合いました。

  • 率先垂範
  • 叱るときは叱る、褒めるときは褒める
  • 責任感
  • ホスピタリティ
  • 自分を磨く自己投資

 

主に上記について話をしました。

これは、よくある基本中の基本で啓発本などにも載っている内容です。

しかし、人間は様々なタイプがいます。

説明するにあたっては、相手に合わせて理解して貰えるように話したつもりです。

 

すぐに結果が出る事は無かったんですが、少しずつ良い結果が出るようになってきました。

 

 

問題発生

 

仕事は、順調に進んでいました。

しかし、順調に行けば行くほど仕事に没頭してしまい、家族の事が見えなくなっていたんだと思います。

子供達は大阪の学校へ転校しました。

後で知った事ですが、他の地域から来た転入生の多くが不登校になっていたそうです。

そして、うちの子供もイジメに発展しそうな、LINEでの仲間はずれにされていました。

これは、相談されるまで全く気がつきませんでした。

子供はストレスで相当やられていた様子。

かなり反省しました。

 

学校に報告を入れ、教師が対応して下さいました。

しかし、その頃から僕の中で様々な想いが頭をよぎるようになっていました。

 

 

再び北海道へ

 

これまで家族の事を考えず、自分の仕事が1番になってしまっていたのでは?

と自問自答の日々を過ごしていました。

 

 

家族の意思

 

ある日、珍しく仕事を早めに終えて帰宅しました。

そこで、家族と本音で話し合いをしました。

子供達は今でも大阪や関東では無く、北海道の友達と連絡を取り合っていて、北海道で暮らしたいと思っている様子で、嫁は嫁の母親が一人で北海道に暮らしているのが心配の様子。

そこで、北海道へ再度移住する決意を固めました。

 

早速、会社へ話をしました。それは転勤願いでは無く、退職するという話です。僕は、これまでの流れで確信していました。

例え北海道へ転勤をしたとしても、会社からの要求はエスカレートするであろう事を。

 

 

決断と実行

 

丁度、その頃ですが社内で経営方針を巡り会議が行われていました。

その会議の中で、僕は今のままでは会社全体が、悪い方向へ進むであろうという結論に達していました。

勿論、会議の中で意見として話を出してみましたが無反応でした。

これは余談になるかもしれませんが、個人的に管理職で理想としていたのは、社長でも直属の上司でもなく架空の者でした。

今までのサラリーマン経験の中で、嫌だと思うような上司の言動を反面教師とし、上手いなと感じる部分だけを吸収しようと思っていました。

又、部下を動かすにはどうするか?では無く、動いて貰うには、どうすれば良いのか?を考える様にしていました。

 

人には感情があります。この人の為に頑張ろうと思えるのであれば、その部下や後輩は長く頑張れるだけのモチべーションの維持が可能でしょう。

しかし、そこまでのカリスマ上司など多くは存在しません。僕自身も、そう思えるような上司や役員がいなかったのです。

これで、完全に退職への意思が固まりました。

本社へ連絡を入れた翌日には、幹部が数名やってきました。

面談の中では、かなり都合の良い事を言われましたが、常套句ですね。

意思を貫き会社を辞めました。

 

所謂セミリタイア。これからは、別の収入で生活します。

退職金(これ大事)は勿論頂きました。

 

 

家族の絆

 

会社を退職する話と同時進行で、家族とは移住に向けて話を進めていました。

まずは、家族で週末の休みの日にUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)へ遊びに出かけました。

それまでは見せなかった子供達の笑顔に、コチラが癒やされた様な気がします。

 

usj

 

どうやら、ずっと行ってみたかった様でした。北海道へ移住した現在でも、このUSJは大阪での生活の中で1番の思い出になっているみたいでした。

 

これまで仕事人間で生きてきた事で貯金だけはありました。

そこで北海道移住の住居は、中古のマンションを購入する事にしました。

古い物件ですが、立地が良く一括で購入出来るという事で選んだ物件です。

無職が北海道に家を買ったよ

2016.08.22

 

 

そして現在の生活

 

今現在、家族が楽しく生きる事を優先にして暮らしています。会社には属していません。

これからの生活について考えているのか?と問われると勿論考えています。

しかし、以前のような暮らしをするつもりはありませんし、水面下では動き始めています。

 

日々の生活ぶり

 

裕福な暮らしが出来るような大富豪でも無いので、普段はスーパーで安くて良い食材を探しながら、普通の食事をしています。

特別貧しくも無いとは思いますけど・・・。貧しい方なのかな・・。

なんとか嫁も専業主婦ですが、暮らせています。

 

たまには、ちょっと高い定食を食べますw

節約生活は実行しますけど、美味しい外食をするのと観光地へ行く事は続けます。

楽しく生きていく為に。

なので、普通のサラリーマン管理職の方と比べると貧しいかもしれませんが、北海道へ移住しても、貧しくなりすぎて何処も行けず、美味しい物も食べる事が出来ない状況には、陥っていません。

そうなると本末転倒な感じがします。まだ1ヶ月程度ですからね。

 

北海道へ移住してもネットで買い物をしたり、貧困でもラクをして生きて行きたいというだけの考えであれば、北海道に住まなくても他の土地で暮らせば良いかなと思います。

このブログは趣味で作ったんですが、カメラにハマってしまい更新するのが楽しくなっています。

 

ついでに説明すると、パソコンはMacBookProとLIFEBOOKを使って、ブログを書いたりギターを弾いたりしています。

ギターも弾いているので、エフェクターなどの音作りで使う機材やパソコンに囲まれて、更にデグー、チンチラ、ミニウサギ、フェレットという小動物と暮らしています。

写真やギター演奏時に使用するので、メインはMacを使用していますが、何かビジネス関連で資料を作成する時は、相手に合わせてLIFEBOOKを使う感じです。

どちらも似たようなスペックですが、使うソフトが違うので、使い分けている感じです。

 

寝室の狭いスペースでギターを弾いたり記事を書いていると、隣のリビングから子供たちと嫁の楽しそうな声が聞こえてきます・・。

ええ。勿論しあわせですとも。

 

寝室の一部が作業スペース。

ギターやパソコンは、このスペースを利用。

 

現在の収入源は、不動産収入です。賃貸用の物件を購入しました。

貯蓄を切り崩す生活では、家族で暮らしていけません。

手持ちの蓄えで一括購入できました。これは運と縁によるものです。

 

 

まとめ

 

今回は、これまでの移住経験を書いてみました。ここまで少し長く書いてしまいました。

読んで頂きありがとうございます。

この記事では書ききれなかった事もあるので後日、機会があれば記事にしてみようと思っています。

仕事を辞めての移住というのは、リスクも高いように思われがちですが、セミリタイアしないで転職したり起業したりと方法は他にもあります。

 

北海道へ移住を考えていらしゃる方には、様々な事情があるかと思いますが、家族との移住を考える場合は、子供達にとってどうなのか?をじっくり考えて欲しいなと思います。

環境だけで言えば、少なくとも札幌市の中心部は子供達を取巻く環境で、問題があるとは聞こえて来ないですし、大阪や東京に比べると穏やかな地域だと感じます。

 

田舎に住むというのであれば、子供達は学校などが大変です。

病院や学校は子供達にとって、非常に重要な環境要素だと思います。

僕も過去に病院が近くにあった事で娘の命が助かった事がありました。

家族の事を考え、将来を見据え、そして後悔しない道を選択して頂きたいと思います。


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ABOUTこの記事をかいた人

大阪から札幌への移住者。二度の移住でトータル15年ほど。 会社は早期退職。仕事やプライベートで北海道全域を走破。 趣味はGuitarとCamera。どちらも未熟である。  HM/HRと綺麗な素敵レデーをこよなく愛す。怪しい者ではない。